大判例

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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)7871号 判決

原告 町田四郎

被告 株式会社毎日新聞社(原告仮名)

主文

1、被告は原告に対してつぎの謝罪広告を本文は八ポイント活字をもつて、その他の部分は十二ポイント活字をもつて、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、産経事時新聞(各都内版と全国地方版)及び東京新聞の各朝刊社会面に各一回掲載せよ。

謝罪広告

本社が昭和二十七年八月二日付毎日新聞都内版、同年八月三日付同新聞全国地方版に「町田博士に愛情の抗議」と題して事実に反する記事を掲載し、この記事に基づいて同年八月三日付同新聞朝刊の余録欄に、同年八月五日付同新聞朝刊の投書欄に、同年八月十一日付同新聞夕刊に、それぞれ貴殿の人格を批判した言説を掲載して、著しく貴殿の名誉を傷つけたことは、本社の深く遺憾とするところであります。

本社はここに謹しんで陳謝の意を表します。

株式会社毎日新聞社

法学博士 町田四郎殿

2、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原告の申立

1、被告は原告に対し毎日新聞朝刊(都内版及び全国地方版)の三面に、この判決の確定后一カ月内に二回、この判決の確定した日附を入れ、組五段抜きの大きさで次のとおりの謝罪広告を掲載せよ。(但し、「謝罪広告」は初号活字、日附及び「法学博士」は三号活字、被告及び原告の氏名は二号活字その余は四号活字を使用すること。)

謝罪広告

本社が昭和二十七年八月二日付毎日新聞都内版、同年八月三日付全国地方版に「町田博士に愛情の抗議」と題する著しく事実を歪曲せる記事を掲載し、同年八月三日付新聞朝刊の「余録欄」に、また同年八月五日付毎日新聞朝刊の「投書欄」に「男女の反省」と題し、さらに同年八月十一日付毎日新聞夕刊に、前記八月二日付及び八月三日付の毎日新聞朝刊に掲載された歪曲された記事に基づいて貴殿の人格を批判した言説を掲載して著しく貴殿の名誉をき損したことは新聞の使命に背くものとして本社の深く遺憾とするところであります。

本社はここに謹んで貴殿に対し陳謝の意を表します。

昭和 年 月 日

株式会社毎日新聞社

法学博士 町田四郎殿

2、被告は原告に対し訴外株式会社朝日新聞社、有限会社読売新聞社、株式会社産経時事新聞社及び社団法人東京新聞社にそれぞれ以上の各社の発行する朝日新聞、読売新聞、産経時事新聞の各都内版及び全国地方版の各朝刊並びに東京新聞の各三面に前項と同じ時期方法で同じ文面の謝罪広告の掲載方の申込をせよ。

3、「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

第二、被告の申立

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第三、原告の主張

一、被告は日刊新聞たる毎日新聞の発行を業とする会社であるが、

(一)  昭和二十七年八月二日付都内版及び同月三日付全国版の各朝刊の発行にあたつて、その三面の右上隅部に別紙その一記載のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を原告の写真入りで掲載はん布し、

(二)  同月三日付都内版朝刊の発行にあたり、その一面「余録欄」に別紙その二記載のとおりの記事(以下「余録記事」という。)を掲載はん布し、

(三)  同月五日付都内版朝刊の発行にあたり、その三面「投書欄」に別紙その三記載のとおりの投書(以下「本件投書」という。)を掲載はん布し、

(四)  同月十一日付都内版夕刊の発行にあたり、本件記事に基づく投書及び評言を紹介した別紙その四記載のとおりの記事(以下「本件評言」という。)を掲載はん布した。

二、本件記事、余録記事及び本件評言の前文の内容は、以下の事実(すなわち真実の事実)と抵触する限りにおいて、真実に反している。

原告は昭和二十三年妻和子と離別してから独身生活を続けていたが、友人訴外真宮次郎の助言に従い、当分の間いわゆる「陰の女を持ち、おもむろに再婚の方途をたてることとし、同人のとりもちで宮田かようこと宮田カヤウ(以下「かよう」という。)と知り合つた。そして、同女と協議の上昭和二十七年一月二十五日ごろ原告はかようを陰の女とし、毎月金五千円の手当を支給するが、原告が将来他の女性と結婚することになつたときは、両者の関係を絶つという合意が成立し、その后この合意に基いて両者は交際を続けて来た。ところが、原告は同年四月上旬他の婦人と婚約を結ぶに至つたので、かように対してこれまでの関係を絶つて別れようと申し入れた。しかし、かようはこれを承諾しなかつたので、その后種々協議した結果、同年七月三日両者の間にこれまでの関係を一切絶つて別れるという約束ができた。

その際かようから将来の方針について助言を求められたので、原告は真宮次郎と相談してから回答することを約した。なお、これよりさき原告はかように対し同年五月二十九日に金三万円を支払い、その他掛軸一本を与え、更に金二千円ないし金三千円位の金員を数回交付していた。

ところが、かようは原告の返事をまたずに訴外松本文子からその所有の飲食店「嵯峨野」を権利金二十万円で買い受け、同女の助言に基づき原告から手切金として金十万円をもらいこれを売買代金の支払にあてようともくろみ、同月二十日原告に手切金十万円を要求した。原告はこれに対して同月二十二日真宮次郎と協議し、その忠告に従い一応これを拒否することとし、同日夜東京都豊島区の国電池袋駅西口附近の喫茶店でかように対し、一応要求はことわるが、多少の金員ならば手切金として支払うつもりであると答えた。ところが、かようはこれを不満として怒り出し、持つていた風呂敷包を示し、この中には、原告と真宮次郎にあてた遺書と毒薬が入つているが、これからつらあてに自殺すると述べ、直ちに豊島区西巣鴨の原告の住居に行き、翌二十三日朝アドルムを服用した。しかし、かようの遺書は、当時かようの住居におかれており、又その服用したアドルムは少量に過ぎず、しかも原告の住んでいる医師杉本太郎方でこれを服用したことなどからみると、アドルム服用は手切金の支払を原告に強要するための狂言自殺にほかならない。原告は同日夕刻住居に帰宅してこれを発見し、直ちに医師を迎えて手当を施こし、家人にかようの容態に注意を払うように命じて同月二十五日改造社の記者とのかねてからの打合わせに基づいて単身真鶴の別宅に赴いた。

以上のとおり、原告とかようとの間は、正式の婚約を前提としたものではなく、逆に正式に結婚する場合は何時でも別れるという約束があつたのであり、かようの自殺は手切金欲しさの狂言自殺であつて、愛情の抗議というようなものではない。

三、本件記事の中には「真鶴の自宅で苦笑する町田博士」との説明つきで原告の写真が掲載されているが、この写真は同年七月二十六日被告の東京支店社会部記者訴外橋本明が原告に対し、将来原告が被告の発行する新聞等に寄稿したとき、その掲載にあたつて併せて載せるから写真をとらせて貰いたいと懇願したので、原告がこれに応じ洪笑するポーズをとり、同行のカメラマンに撮影させたものであつて、この写真はかようの自殺未遂事件についての感情を示しているものではない。

四、また、原告もかようも本件記事、余録記事、本件評言の前文に記載されているとおりの談話を発表したことはなく、いずれも被告が勝手に書きあげたものである。

仮にかようが前記のとおりの談話を発表したとしても、その談話の内容は、第二項記載の真実の事実と相反する限りにおいて、真実に反している。

五、本件記事に「女性の敵」と題して掲載されている松本文子の談話は、第二項の真実の事実からすると、正当な批判でないことが明らかである。

のみならず、この批判は原告をそしり、これを陥れようとする意図をもつて行われた批判である。松本文子は、同年七月二十日ごろその所有の飲食店「嵯峨野」をかように売り渡し、その代金を速かに支払つて貰うためにかように対して、原告に相当額の手切金を要求するよう勧告したばかりか、原告を相手取り慰藉料の調停の申立をするように指示している。この事実に徴しても、同女の批判は、利害関係人として手切金を出さぬ原告に対する悪感情を持つて原告をそしる意図で行つたことが明かである。

六、余録記事における原告の人格に対する批判は、第二項の真実の言動に徴すれば、正当な批判であるとはいい難い。そればかりでなく、余録記事に用いられている言語文体からみると、この記事は原告をからかいあざけり、世人の興味をそそろうとの意図をもつて行われた批判であると考えられる。

七、本件投書及び本件評言に掲載された甲野太郎、乙野次子の談話における原告の人格に対する批判は、第二項の原告の真実の言動に徴し、正当な批判でないことが明らかである。

八、本件記事記載の事実は、原告とかようとの間の純然たる私行に関するもので、公共の利害に関する事実ではない。従つて、これに基づく本件投書、余録記事及び本件評言における批判も、私行に渉るに過ぎず、これによつて公共の利害が左右されることはない。

原告は、後に述べるとおりの経歴職業を持ち、日本法制史学者、大学教授及び弁護士として活動しているもので、原告とかようとの関係は、以上の活動領域とは何ら関係のないことがらである。又両者の間をとりもつた真宮次郎は本件記事記載のとおり法律家ではあるが、同人が原告とかようを仲介し、間に立つて種々助言を与えたのは、同人が原告の親友であるとともに、かようの親族であるためであり、従つて同人の行為は法律家としての活動の領域とは何らの関係がない。

更にかようは、昭和十三年日華事変で夫を失つた后、男児一人を抱えて暮して来た戦争未亡人ではあるが、原告とかようの関係は、かようが戦争未亡人であるために結ばれたのではなく、従つてかようと原告との関係の推移は、かようが戦争未亡人であることと何らの関係もない。かようと原告との関係に基づくことがらは、原告及び真宮次郎が我国法曹界の一員として公共の利害に係る活動をしていること、又かようが戦争未亡人の一人としてその生活の中に戦争未亡人に対する福祉対策、戦争未亡人一般の生活倫理という公共的な問題をはらんでいることとは何の関係もないことがらである。そして、特に別個の要素例えば教師として生徒を誘惑すること、有夫の婦人と関係すること等の事情が存在しない限り、公共の利害に関するものとはいえない。

九、のみならず、被告代表者田村二郎は本件記事、余録記事、本件投書及び本件評言の内容がいずれも真実の事実に反し、原告の人格に対する正当な批判ではなく、純然たる私行に関するものであることを知りながら、もつぱら原告のスキヤンダルを暴露して世人の好奇心を満足させることのみを目的とし、前記各記事を掲載した新聞を発行したのであつて、この行為は公益を図る目的から行われたものではない。

原告は昭和二十七年七月二十六日被告の新聞記者橋本明に、同月二十七日久野久弁護士とともに被告東京支店社会部長、代理山口至に、久野弁護士は同月二十八日同支店社会部長山田徳、山口至、橋本明及び新聞記者山野某に、原告と同弁護士は同月二十九日橋本明にそれぞれ面会したが、その際、原告ないし同弁護士は以上の者に対し、第二項記載の真実の事実を告げ、もし被告側の認識している事実がこれと抵触しているとすれば、それは真実ではないから、ニユースソースに十分注意を払つた上取り扱われたい、特にかようと松本文子の言は両名の人格に十分注意し、その真否を確めた上で取り扱われたいと申し入れた。そして、さらに原告とかようとの関係について生じたことがらは、何ら公共の利害に係ることがらではなく、従つてこれについての記事ないし言説を新聞に掲載することは、個人のスキヤンダルの暴露以上には出ない旨を警告した。ところが、これに対し被告の前記職員特に橋本明は、被告としては、この事件は最近にないニユースヴアリユウのある事件であるから大々的に取り上げ、興味のある事件のないため精彩を欠いている紙面を賑わす方針であると主張して、原告らの申入を無視した。

しかも、本件記事が公表された后、これに基づいて被告に寄せられた投書の中には、被告が本件記事を公表したことに対し非難を加え、原告の立場に同情を寄せた投書も少からずあつたにもかかわらず、被告は特にその中から本件投書及び本件評言中に掲げられた投書のみを掲載してこと足れりとしていたのである。

以上の事実に徴すれば、被告が本件各新聞を発行したのは、新聞の使命を逸脱し、もつぱら原告のスキヤンダルを暴露して世人の興味をあおる目的に出たものであることが明かである。

十、仮に前項の主張がいれられないとしても、被告代表者は本件記事、余録記事、本件投書及び本件評言の各内容がいずれも前記第二項ないし第八項のとおりのものであることを知らなかつた点において過失がある。

被告と同様の組織と機構を有して日刊新聞及び週間雑誌を発行している訴外有限会社読売新聞社は、その独自の調査に基づき、本件記事が真実を述べたものではないとの疑を持ち、その旨を同年八月中旬ごろ公表している。

ところが被告代表者田村二郎は、山野記者が東京都内の飲食店で聞き込み、更に橋本記者がかよう及び松本文子から聴取して得た事実に特別の吟味を加えず、漫然とこれを記事にして新聞に掲載し、更にこれに基づく他人の批判をそのまま新聞に掲載したものであつて、これは新聞発行者として記事の真実性、評論の正当性及びその動機、記事の公共性を検討すべき注意義務を怠つたものである。

十一、原告は、大正十一年東京帝国大学法学部を卒業し、大正十四年九州帝国大学助教授に、昭和二年同大学教授に任ぜられ、昭和四年退官するまで、同大学法学部で日本法制史の講座を担当していたが、退官后昭和五年中央大学教授となり、傍ら慶応義塾大学、法政大学、日本大学、早稲田大学及び東京商科大学において法制史を講義していた。その后昭和九年渡満し、満洲国司法部法学校教授、同司法部参事官、吉林高等法院審判官の職に就き、昭和十二年中華民国臨時政府新民学院講師に招かれ北京に赴き、更に昭和十四年満洲に帰つて国務院総務庁参事官、建国大学教授、国立中央図書館籌備処長を歴任した。その後太平洋戦争の終結により昭和二十一年十月二十六日日本に帰り、同年十二月十五日から極東国際軍事裁判所において元海軍大将山本一二三の弁護人として活動し、附和二十一年十二月五日弁護士名簿に登録されて弁護士となり、ついで昭和二十四年国学院大学教授に招かれ、昭和二十五年早稲田大学講師の職を兼ねて現在に至つているが、その間日本法制史東洋法制史に関する著作物三十点余を発表している。

以上の経歴の示すとおり、原告は昭和二十七年八月当時において法制史学者及び弁護士として公生活及び私生活上相当の名誉を保持していたものである。

十二、ところが、被告が第一項記載のとおり各新聞を発行したことにより、原告は世人から戦争未亡人を娼婦として取り扱つてこれを侮辱し、かようの愛情をふみにじつて平然としている身勝手な背徳漢、婦人の人格を無視する不徳の輩との印象をもつて遇せられるに至り、その名誉を著しく傷つけられた。これによつて原告が被つた損害は被告が請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告を各新聞に掲載することによつてはじめて回復されるから、原告は本訴に及んだ次第である。

十三、被告の第十三項の主張は否認する。

第四、被告の主張

一、原告主張の第一項の事実は認める。

二、第二項の事実は否認する。本件記事、余録記事及び本件評言の前文はすべて真実の事実に即して作成されたものである。

三、第三項の事実のうち本件記事の中に原告の写真が原告主張のとおりの説明をつけて掲載されていること及びこの写真は、昭和二十七年七月二十六日橋本明の同行のカメラマンが撮影したものであることは認めるが、その余は否認する。この写真は説明のとおりの写真であることに間違いない。

四、第四項の事実は否認する。被告は原告、かようが発表したとおりを談話として掲載したのであり、かようが発表した談話の内容はすべて真実の事実に合致している。

五、第五項の事実のうち、松本文子がかように対しその所有の飲食店を売り渡したこと、手切金を要求するよう勧告したこと及び慰藉料調停の申立をするように指示したことは知らない。その余は否認する。

松本文子が行つた批判は、本件記事に記載されている原告の真実の言動に徴すれば、客観的に正当な批判であることが明らかである。また同女は原告主張のとおりの意図をもつてこの批判を行つたものではない。

六、第六項の事実は否認する。余録記事における原告の人格に対する批判は、本件記事に記載されている原告の真実の言動に徴すれば、客観的に正当な批判であることが明らかである。この批判は決して原告主張のとおりの意図を以て行われたものではなく、余録記事に用いられている言語、文体は、全読者層に記事を読んで貰うことが望ましい場合に一般に使用されている言語及び文体である。

七、第七項の事実は否認する。これらの批判は、本件記事記載の原告の真実の言動に徴すれば、客観的に正当な批判であることはいうまでもない。

八、第八項の主張は争う。

(一)  凡そ現代の男女が愛情の問題としてではなく、単に生理的欲望の対象として性交渉を継続的に契約することは、太平洋戦争終了后の性道徳の混乱を示すものである。しかも、その仲介者真宮次郎は法律家であり、当事者の一方である原告は大学教授法律家として社会的に相当の地位を有しその相手たるかようは戦争未亡人であつて、これらの要素を考慮すると、原告とかようとの関係は、単に私行にのみ係ることがらであるとはいえない。むしろ、日本国憲法の要請する両性の平等、個人の尊厳を確保して、人権の擁護、社会正義の実現を行うべき法律家として、又后進の育成に従事する教育者として、公的地位にあるものの行状ないし品位、戦争未亡人に対する福祉対策、その性倫理上の問題という公共の利害に係ることがらである。

(二)  仮にこの主張がいれられないとしても、本件記事はかようの自殺未遂事件及びその自殺の動機原因として原告らの私行を報道したものである。ところで、自殺は反社会性を有する行為であることはいうまでもなく、この意味においてかようの自殺未遂行為は公共の利益に反する。従つて、この自殺未遂の原因である原告とかようとの関係は、自殺未遂事件に含まれる社会的事象として採り上げる限りは反社会性を有し、単なる私行ということはできない。

九、第九項の事実のうち原告らがその主張するとおり被告の職員と面会したことのあることは認めるが、その余は否認する。

被告はその所属記者の取材によつて得た本件記事のとおりの事実を報道するについて、原告に対し何ら悪意又は憎悪の念を持つていたものではない。かえつて、このような事実を報道することこそ、この種の問題について一般社会に警告を与え、その反省を促す新聞の使命に合致するものであると考え、被告は専ら以上の目的の下に本件記事を公表したのである。そして、更に一般人の理解を深めるために、本件投書、本件評言をも新聞に掲載し、もつて社会の公正な批判を期待したのであつて、原告のスキヤンダルを暴露して世人の興味をあおる意図は毛頭なかつた。

十、第十項の事実は否認する。

本件記事は橋本記者がキヤツチし、事の真相を把握するため各方面から調査検討した結果について山田徳、山口至がその報道の形式及び時期について吟味を加えた。その上、更に記事の客観的真実性を担保するため、原告とかようとの双方の主張をそのまゝ取り上げて総合した結論に基づいて事実の推移を叙述した上、原告とかようの双方の談話をそのまま挿入し、事実に対する判断ないし批判はすべて読者に一任する形式をとつたものである。被告代表者は、本件記事の公表につき事実の真実性を担保するために、凡ゆる注意と努力を払つたのであつて、記事の真実性を検討すべき注意義務を怠つたことはない。

十一、第十一項の事実は認める。

十二、第十二項の事実は否認する。

十三、新聞が事実を報道したことによつてたとえ人の名誉を傷つけたとしても、その事実が公共の利害に関することがらであり、報道の目的が専ら公益を図るに出たものであれば、事実が真実であつたときは、違法性を阻却するものであることは、刑法第三十五条、第二百三十条の二の規定の趣旨に照らし明かであつて、民事においてもこの規定を類推して適用すべきものである。そうだとすれば、本件記事及びこれに基く一連の記事が公共の利害に関することがらであり、被告が専ら公益を図る目的を有していたこと及び本件記事等が真実の事実であることは、さきに述べたとおりである。従つて、仮に本件記事等を掲載した新聞をはん布したことにより原告の名誉が傷つけられたとしても、その名誉はいわゆるいつはりの名誉に過ぎず、被告の行為は正当な業務行為として違法性が阻却されるのである。

第五証拠

原告は甲第一号証から第五号証まで、第六号証の一、二、第七号証から第十一号証までを提出し、甲第一号証から第四号証まで及び第七号証は被告がその発行年月日に発行した新聞である、と述べ、証人真宮次郎、宮田カヤウ、野口昇、橋本明、山口至、山田徳、久野久の各証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙第七号証から第十号証までの成立は認めるが、その余の乙号証の成立は知らないと、と述べた。

被告は乙第一、二号証、第三号証の一、二、三、第四号証から第十号証までを提出し、乙第一、二号証、第九、十号証は橋本明の作成したメモである、と述べ、証人宮田カヤウ、山田徳、山口至及び橋本明の各証言を援用し、甲第一号証から第四号証まで及び第七号証が原告主張のとおりの新聞であること、並びに、甲第六号証の一、二、第八号証の成立は認めるが、その余の甲号証の成立は知らない、と述べた。

理由

一、被告が編輯発行する毎日新聞の昭和二十七年八月二日付都内版及び同月三日付全国版の各朝刊に本件記事を、同月三日付都内版朝刊に余録記事を、同月五日付都内版朝刊に本件投書を、同月十一日付都内版夕刊に本件評言を、それぞれ掲載はん布したことは、当事者間に争がない。

二、原告がその主張のとおりの学歴及び経歴の持主で、法制史学者及び弁護士として昭和二十七年八月当時公私にわたり相当な社会的名誉を有していたことは、当事者間に争がない。そこで、前項記載の各記事が原告の名誉をき損する性質のものであるかどうかを順次検討する。

(一)  本件記事

本件記事には「町田博士に愛情の抗議」という主題、「自殺を図つた一未亡人」の副主題がつけられて横書一段詰の大文字で記載され、右上部に「真鶴の自宅で苦笑する町田博士」と説明をつけて原告の笑つている写真が、また右下部にはかようの写真がそれぞれ掲載されている。そして、前文の冒頭に事実としての報道部分を要約し、その后に原告及びかようの談話の要約が続き、結論として戦争未亡人の生活倫理にもつながる大きな社会問題であるとの評論で結ばれている。本文は「″女心をふみにじつた余りに冷たい仕打ち、慰しや料請求調停申立て」との大見出のもとに事件のいきさつを原告及びかようの説明を交えつつ詳細に報道し、さらに「あれは妻ではない。別離は最初から約束」との中見出をつけて原告のいい分を、次に「お金で約束した覚えはない」との小見出のもとにかようのいい分を掲げ、続いて真宮博士、松本文子ら関係者の談話をのせている。

以上のうち事実として報道した部分を要約すると、「原告は戦争未亡人であるかようと婚姻外の関係をもつていたが、原告が他の婦人と結婚するためかように別れ話を持ち出し、しかもその際手切金等の話は一切出さなかつたので、かようは愛情をふみにじられて悲観し遺書を残して自殺を図つたか未遂に終り原告に抗議するため慰藉料の調停申立をした。」ということであり、原告とかようとの関係についての両者の主張はそれぞれ談話の形式で掲載されている。それによると原告の談話は、正式な結婚の際は何時でも別れる、月五千円の手当を出す、という約束で交渉をもつたのであり、かようはいわゆる通勤の娼婦ないしセミプロであるとの趣旨であるに対し、かようの談話は、金で約束した覚えはなく、別れることは承知していたが、原告に対する愛情を裏切られたことが悲しいとの趣旨である。

ところで、こゝに報道されているこの種の事件は、世上往々にしてあることであり、世間の一部の人々は、とりたてて神経質にかような事柄を非難することはしないであろう。しかし、これらの人達でもこの種の出来事をほめた事柄と見ないことだけは確かである。ましてや、世間の大部分の人々は、こういう事件には甚だ敏感であつて、激しい非難を加えるのが常である、世論はわれわれの想像する以上に道義に関しては厳格であるといつても、過言ではあるまい。そうすると、本件記事が出たことによつて、大学教授であり法学博士である原告が世間からどのような眼でみられるか、あえて説明するまでもなかろう。ことに本件記事はその見出、評論部分、原告の写真等と相まつて、原告が純情な戦争未亡人であるかようを通勤の娼婦として取り扱い、女心をふみにじつて自殺未遂にまで追い込みながら平然としているとの印象を読者に与えるであろうことは想像に難くない。このことは、本件投書及び本件評言において、一般世人のみならず有識者の一部までが、本件記事によつて原告に対し、非難に満ちた投書を投稿したり、非難に満ちた批評を加えたことによつても明らかである。従つて、本件記事は原告の名誉感情を害するとともに、その有する社会的名誉をキ損するであろうことは疑問の余地がない。

(二)  余録記事

余録記事は原告とかようの事件に対する社会短評とでもいうべきもので、最初に両者の言い分を要約し、次いでこの事件に対する感想を述べ、そして双方に対して批判を加えている。そしてその批判の要旨は「かようを月五千円で妾としたのはあまりに安く、人権じゆうりんの疑が濃厚だが、そればかりでなく、他に結婚の相手が見つかつたからといつて、何らの手切金もよこさないというのは人情に反する。かようもまた捨てられてから愛情を強調して慰藉料請求するのも解せないが、免に角かようにとつて原告は悪い相手であつた。」ということである。しかも、その摘示方法として「子持ちの後家さんを性的従業員として雇い、月給五千円は安すぎて不当」とか、「無銭飲食でさようならは人情の公式が許さない。」とか、原告を批評して、「家庭裁判所員など完全に煙に巻いてしまうチエの持主、法制史とともに性生活史の権威」とか、品の良くない言語文体を用いている。

このよう点からみると、余録記事は本件記事と同様、いなそれ以上に読者をして原告が身勝手な背徳漢であるとの印象を与えることは明らかであるから、この記事も原告の名誉をき損することは明白である。

(三)  本件投書

本件投書は投書欄に「男女の反省」と題し、本件記事に対する一主婦からの投書をそのまま掲載したものであつて、その要旨は「原告が愛情の結びつきとしてでなしに金銭で契約した女性と交渉を持つたことは、相手の女性の人格を無視し、女性一般を冒とくするものである。」というにある。そしてこの投書が原告の名誉をき損する性質のものであることは明らかであるから、この投書を掲載した新聞を発行することは、原告の名誉をき損するものということができる。

(四)  本件評言。

本件評言は、「町田事件をこう見る」との主題及び「識者にきく男女の在り方」との副主題を横書一段詰の大文字で現わし、前文には原告とかようとの双方のいい分を要約し、本件記事に対し寄せられた投書の実例として「私も幾人かの町田博士を見て来た。未亡人は人生の危機に立つている」という趣旨の投書が掲げられている。そして、本文は、「″通勤の娼婦は逃口上、女の陰にけしかけるもの?」との見出で甲野太郎の談話が、「女性の敵です。」との見出で乙野次子の談話がそれぞれ掲載されれている。(その他に三宅一、村野四郎、林けい子の談話も併せて掲載されている。)

ところで本件評言の前文は、本件記事に基づいて、原告とかようとの関係を、通勤の娼婦といい切る原告と金でなく愛情だと抗議するかようと対立させて表現している。これに前記投書や原告のいうことは逃口上ではないかという甲野太郎の談話や通勤の娼婦という考え方は全日本の女性の怒りを買つたという乙野次子の談話などを併せて読むときは、原告がかようを娼婦扱にしてその愛情をふみにじつている身勝手な男性であるとの印象を一般読者に与えるであらうことは見易い道理である。従つて、本件評言もまた原告の名誉をき損するものといわなければならない。

三、被告は、本件記事、余録記事及び本件評言の前文のうち事実として報道した部分はすべて真実に合致し、談話として記載した部分は原告らの談話をそのまま報道したものであり、余録記事、本件投書、本件評言のうち原告の人格を批判した部分は正当な批判であつて、これら記事の公表は公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るに出たものであるから、本件記事等を掲載した新聞の発行行為は、刑法第三十五条、第二百三十条の二により正当な業務行為として違法性を阻却すると主張する。

ところで、本件記事を除くその余の記事は、すべて本件記事に基づくものであるから、まず本件記事が真実の事実に合致するかどうかを検討しよう。

成立に争のない乙第七号証、証人橋本明の証言によつてその成立を認めることのできる乙第一号証、証人宮田かようの証言によつて成立の認められる乙第二号証と証人宮田カヤウ、野口昇、橋本明、山口至、久野久の各証言及び原告本人尋問の結果(但し、証人宮田かよう、橋本明、山口至の証言は、いずれもその一部)とを総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  原告は昭和二十三年妻和子と離婚してから、独身生活を続けていた。一方かようは原告の友人真宮次郎博士の従兄の妻にあたり、夫が支那事変で戦死してからは、一、二の男と同棲したり、又池袋で飲屋等を営んでいたりしたが、その後それらの男と別れて家作による収入等で暮していた。真宮博士はかようの親戚として従兄の死后も相談相手になつていた間柄であつたが、たまたまかようから同女宅に出入していた女を適当な人に妾として世話してくれと頼まれた。そのとき、たまたま原告が離婚したままの状態でいることを思い出し、将来夫人と復縁でもすることになるまで仮の人としてその女を持つ気はないかと原告に話したところ、原告もその気になつた。そこで、同博士はその由をかように伝えたところ、かよう自身がその役を買つて出たいと申し出たので、ここに同博士の紹介で昭和二十七年一月下旬原告とかようとが知り合いかようはいわゆる仮の人(妾)として原告と交渉を持つに至つた。同博士は原告のことをかように話すとき、学者であるから月一万円位の手当しか出せないと話したことがあつたが、かようと原告との間に話が成立する際には別段はつきりとした金銭的な取りきめをしなかつた。

(2)  その后二人は原告の寄寓先である実妹の家で会つたり、旅館等で会つたりして関係を続けたが別段同棲したようなことはなかつた。同年三月ごろかようが自分の家の二階を改築して原告に同居することをすゝめ、その工事の見積が十八万円ぐらいであると原告に話し、原告がこれを断つたりしたことから、教養の差も手伝つて、両者の感情は次第にそぐわないものになつて行つた。

(3)  ところで同年四月ごろ原告は友人を介して他の婦人と再婚する話がまとまつたので、そのころかように対し、同女との交渉を断ちたいと申し入れた。かようはこれに対して五月ごろ原告に、現実に再婚するまでの間は従来の関係を続けて欲しいとせがみ、七月上旬にも原告が真鶴の自宅に論文執筆のため出かけることを知り、これに同行した。その際、かようは、原告の再婚を了承し原告と別れることをあらためて承諾した上、今后の身の振り方を相談し、手切金についての原告の意向を打診したが、原告は水商売でもやつたらよいと答えたのみで、確答を避けた。

(4)  七月十八日原告が帰京すると、かようは原告にむかつて、松本文子からその所有の飲食店「嵯峨野」を代金二十万円で買い受けることにし、五万円の手附金を打つたが、金が足りないからといつて十万円を要求した。原告はこれに対し、同月二十二日真宮博士と協議した末、その忠告に従い一応これを拒否することとし、同日夜国電池袋駅西口附近の喫茶店でかように会い、要求に応ずることはできないと答えた。ところが、かようはこれを不満に思つて怒り出し、大塚駅まで追つて来て、原告に持つていた風呂敷包を示し、この中には薬が入つているからこれからつらあてに自殺するといい、単身原告の寄寓先である原告の妹の家に泊り、その夜アドルム十錠ないし二十錠を服用した。

(5)  翌二十三日午后四時これを発見した原告の妹は、早速医師の診察を請うたところ、飲んだアドルムが少量で致死量ではないことと、その症状からして生命に異常はなく、二十四日朝には必ず覚醒するとの診断であつたかようは翌二十四日目がさめて松本文子の家に引き取られたので、原告は真鶴に帰つた。かようは同月二十八日真宮博士から金十万円を貸すとの申出があつたがこれを断わり、憤激のさめないまゝ、松本文子と相談しその助言により同年七月三十一日東京家庭裁判所に原告を相手取り慰藉料請求の調停を申し立てるに至つた。これを知つた同博士は原告とも相談の上金十万円をかように貸すことを同女に承諾させ、翌日調停の申立を取り下げさせた。なお、かようの松本文子あての遺書と称するものは、本件記事に記載されたとおりのものが七月二十日付で作成され松本方に置かれていることが後から判つた。

(6)  これよりさき、かようが同月二十四日松本文子方に引き取られると、このことが、近所の評判となり、被告の記者山野某がこれを聞き込み、被告の社会部記者橋本明が同月二十六日取材を命ぜられた。そこで、同記者は即日松本文子方を訪ね、かようと松本文子から取材し、更に真宮博士を訪ね、ほゞ本件記事のうちかよう及び真宮博士の談話として掲載されているとおりの談話を聞いた上、同日夜原告を真鶴の自宅に訪ねた。そのとき原告は橋本記者に対してかようは正式の妻ではなく妾であつて、再婚のときは別れる約束であり、月五千円程度の手当をやつていた趣旨のことを話したが、通勤の娼婦というような言葉は用いなかつた。その際同行のカメラマンが言を構えて本件記事に載せられている原告の写真を撮影したが、原告の笑つている姿はこの事件についての感情を示したものではなかつた。

乙第四号証から第八号証まで、及び証人真宮次郎、宮田カヤウ、橋本明、山口至、山田徳の証言のうちこの認定に反する部分は直ちに採用し難く、他にこの認定を妨げる証拠はない。

なおかようが原告及び真宮博士あてに本件記事記載のとおりの遺書を残して置いたということ、及び、松本文子が本件記事記載のとおりの談話を発表したことがあつたかどうかについては、これを認めるに足りる証拠がない。

四、以上に認定した事実によると、かようは夫の死后一、二の男と同棲したり、飲屋を営んでいたりしたことのある経歴の持主で、純情な戦争未亡人とは程遠い女性であることが明らかである。そして、原告との関係も最初から妾となることを承知の上で自らその役を買つて出たのであり、原告が再婚するときには原告と別れることも承知していたのである。同女がアドルムを服用したのも、愛情を裏切られ女心をふみにじられてからというよりは、手切金が貰えなかつたので腹立ちまぎれにつらあてとしてやつたとみるほうが、真相に近いと思われる。しかも、その服用したアドルムの量、服用の場所服用前の原告との経緯及び松本文子あての遺書が前々日に既に作成されていたこと等の諸般の事情から考えると、果してかように真に自殺の意思があつたかどうか疑問であるといわざるを得ない。

従つて、本件記事の題材となつた真実の事実を要約すると、原告の妾であつたかようが、別れるに際し手切金をよこさないので憤激し、その腹いせにアドルムを十錠ないし二十錠飲んだこと、同女は更に憤激のさめないまゝ慰藉料調停の申立をしたということに帰着するわけである。

してみると、本件記事はさきに認定した事実と対照してみると、かなり細かい部分までよく調べて書いてあることがうかがわれるけれども、事件の把握の仕方に誤りがあり、その結果重要な点において真実をありのままに伝えるに至らなかつたと評せざるを得ない。

五、このように、人の名誉を傷つける事実を公表したものは、その事実が真実でない限り、たとえそのことがらが公共の利害に関するものであろうともはたまたもつぱら公益を図る目的でしようとも、名誉き損の責任を免れることができないものといわなければならない。けだし、対象がどんなに重要なことであつても、また動機がどんなに立派であつても、真実でないことを述べて人の名誉を傷つけることは、許されないからである。

六、つぎに、余録記事、本件投書及び本件評言について考えてみると、人の名誉を傷つけるような評論を発表した場合でも、その意見が正当な批判であり、しかもそれが公益に関することがらについて行われたときは、不法行為の責任を免れると解するのが相当である。というのは、公益に関することがらについて言論の自由を確保するためには、かような免責事由を認めることが必要だと考えるからである。しかしながら、こゝにいう正当な批判は、真実の事実に基く批判でなければならないことは、当然の事理である。

本件記事がその主要な部分において真実に反している以上、本件記事に基づいて掲載された余録記事、本件投書及び本件評言は、正当な批判といえないことが明らかであるから、被告はこれらについても本件記事と同様名誉き損の責任を免れるわけにはいかない。

七、つぎに証人山口至、山田徳の証言によると、本件記事及び本件評言は、橋本明の取材に基づいて被告の社会部のデスク(社会部長の代行機関で編輯整理の担当者である社会部次長数名で構成されている。)が担当し、余録記事及び本件投書は論説委員室が担当してそれぞれ他の部署(整理部のデスク)と協力して被告発行の毎日新聞に掲載はん布されるに至つたことが認められる。

ところで、名誉き損における故意とは、自己の行為が他人の名誉をき損するであろうことの認識を指すものであり、被告の代表者ないしデスクがかような認識をあらかじめ有していたであらうことは、新聞業務に従事するものの通常有すべき意識、感覚からして容易に推知することができる。従つて、被告は本件記事等による名誉き損について故意があつたものであり、仮にこれらの者がその認識がなかつたとしても、少くとも前記結果の将来について過失の責があることは明白である。

被告は、本件記事等の公表については、事実の真実性を担保するために凡ゆる注意と努力を払つたのであり、記事の真実性を検討すべき注意義務を怠つたことはないから過失がない旨主張するけれども前示乙第一号証、証人橋本明、山口至、山田徳の各証言(以上いずれも一部)及びこれらによつてその成立の認められる乙第四号証から第六号証までの各一部、証人久野久の証言と原告本人尋問の結果とによると、本件記事は、被告の橋本明記者の取材に基づいて同人が作成した原稿を社会部長山田徳及び社会部のデスクが全面的に信用して、そのまゝ採用し、整理部において見出等をつけて新聞に掲載したこと、これよりさき昭和二十七年七月二十六日原告が橋本記者に、同月二十七日原告及び久野久弁護士が社会部次長山口至に、二十八日同弁護士が社会部長山田徳に、二十九日原告及び同弁護士が橋本記者に、それぞれ真実の事実を告げるとともに、この事実は個人のスキヤンダル以外の何物でもないことを警告し、且つかようと松本文子について十分再調査をするよう要望したにもかゝわらず、被告のデスクは格別橋本記者の作成した原稿に検討を加えたり再調査をしたことがなかつたことが認められる。前示乙第一号証、同第四号証から第六号証まで、及び証人橋本明、山口至、山田徳の各証言のうちこの認定に反する部分は採用し難い。従つて、被告の主張は、採用の限りではない。

八、以上に述べたところからすると、被告は原告の請求に基づきき損された原告の名誉を回復するために適当な処置をとる義務があり、その処置としては本件名誉き損の態様からして、新聞紙上における謝罪広告が最もこれにふさわしい。

そしてその内容は本件記事等の内容、原告及び被告の地位ないし身分に鑑み、主文第一項に掲げたとおりのものとするのが相当であると考える。

よつて原告の本訴請求を認容し、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古関敏正 山本卓 松本武)

その一

町田博士に「愛情」の抗議

自殺を図つた一未亡人

日本法制史の権威、国学院大学教授、元戦犯山本一二三氏弁護人、法学博士町田四郎氏(五五)=神奈川県真鶴町宮手堀一二四五=を相手どり『私は町田に女心をふみにじられ、自殺にまで追いつめられた。この悲しさを判ろうとしない町田に抗議する……』と豊島区要町一の四八無職宮田かようさん(四七)が去月三十一日東京家庭裁判所に『慰しや料請求』の調停を申立てた。宮田さんは最近町田博士が他の未亡人と結婚する話がきまつたのを悲観して、去月二十二日同博士の東京止宿先同区西巣鴨四の三〇〇医師杉本太郎氏方二階でアドルム自殺をはかり、命をとりとめた。彼女はいま知人の池袋駅前マーケツト内飲食店″嵯峨野″こと松本文子さん(四八)方で失意の身を養つている。町田博士が『独身の為月五千円で契約した″通勤の娼婦″と手を切つたまでで、自殺さわぎまでひき起し面当てをされる覚えはない』といい切り、かようさんは『何れはこうなる日の来るを知りながらも、いまでは忘れることのできないお方となつてしまつた先生です。先生の余りにも冷たい仕打ちが悲しいのです。』と女心を訴えているところに事件は二人の私事を超え、全国三百万の戦争未亡人の生活倫理にもつながる大きな社会問題がある。以下は博士と彼女が語る事件の真相であり、世に問う二人のいい分である。

″女心をふみにじつた余りに冷たい仕打ち″

慰しや料請求調停申立て

五・一五事件の関係で追われ昭和九年日本から満州に渡つた町田博士は二十一年引揚げて来たが、同年春内地で待ちわびていた妻和子さん(五〇)=丸野秀夫元男爵妹=と四人の子供とも離別した。

満州から帰つてみたら、妻や子供達とのミゾが余りにも深くなつていた。

と抽象的に語つている。その後博士は義弟杉本氏宅を止宿先として国学院大学で法制史の講座をもつかたわら戦争裁判の記録整理や著述を続けて来た。

一方宮田さんは自動車業の夫、直さん(当時三六)が昭和十三年春日華事変で戦死、一時は池袋西口マーケツトで飲み屋などしたこともあるが、主に夫の残した十数軒の家作をボツボツ手放しながら養子の田中小助ちやん(九ツ)と暮して来た。彼女を博士に結びつけたのは彼女の義理の従兄日大講師、法学博士真宮次郎氏(五八)=同区巣鴨七の一八五一=であつた。町田博士はこのときの事情を

長い間やもめ暮しをしている私に同情した真宮博士が月五千円位出してくれれば自分の遠縁の未亡人がいるといつて今年の一月紹介された。

といい

しかし最初から金で契約した相手として扱つて来た。

と説明している。こうしてかようさんは博士から招ばれる度に博士の止宿先や真鶴の家に泊つた。すると六月のある日、博士が昨年十月から知り合つている内弟子の母親である某未亡人(五〇)=特に名を秘す=に正式に求婚し話は本決りとなつた。博士は同月二十二日かようさんを呼び出し同夜九時半ごろ池袋駅前の喫茶店で事務的に″二人の仲は終つた″ことを告げた。すでにその前から未亡人のことを博士から知らされていた彼女は、別れた後の身のふり方のために『手切金』として十万円ばかり出してもらうつもりで池袋マーケツト内に二十万円で飲屋の店を借り、五万円の手附会を払つた。しかし喫茶店では冷い別れ話ばかりで金のことは博士からも出されず、二人はしばらく歩き大塚駅で別れた。博士が止宿先に帰つて見ると、かようさんは一足先に同家の二階に博士を待つていた。博士は二階へは上らず、階下に寝てしまつた。その夜かようさんはアドルムをのんでしまつた。二十三日夕刻になつても眠りつづける彼女に驚いた家人が附近の野口昇医師に手当を頼み彼女は命をとりとめた。町田博士は真宮博士に跡始末を頼むと二十五日夕刻婚約の未亡人と真鶴の自宅にのがれるように帰つていつた。博士は

彼女は″先生が結婚されるときはいつでもお別れします″といつていたのだから、いまさら何もいうことはあるまい。

といい、彼女は

おつき合いをしているうち次第に先生を敬い、お慕いする気持になつてゆきました。最初の約束があるからとは申せ、こんどのことは余りにも冷い仕打ちです。あきらめ切れません。

と女の立場を説明している。ちようどそのころかようさんから事情をきかされていた友人の松本さんが要町の彼女の家を訪れると

私のないあとは坊やをお願いします。

との松本さんへの遺書と共に

先生のお家をお騒がしてすみません。私には一生の思い出の所なのです。ここで先生にお別れするのが私は幸福です。

と女心をつづつた町田博士や真宮博士あての遺書を発見、驚いて杉本さん方にかけつけ事件の一切を知り二十五日彼女を引取つた。

″あれは妻ではない

別離は最初から約束″

この事件につきそれぞれのいい分を聞くと次の通りである。

町田博士談 私ははじめから″男″対セミプロとして約束し、そうふるまつて来た。教育者、学者という限られた世界に住んでいる私の″男″の問題に同情した真宮君が仲に入つてくれただけで私は最初から割切つていた。

私が自宅にまで彼女をつれていつたことが彼女を″女″ではなく″妻″を意識させたのだろう。彼女は私の求めている″妻″ではない。私は″妻″を見出したから″女″と別れようとしたわけだ。最初からその約束だから、手切金というようなありふれた考えはしないつもりだ。ことにあの夜彼女は不明瞭で食は割合量が少なかつたときいている。これも私の気持をますます公式的なものにしている。

お金を約束した覚えはない

かようさん談 先生はお金で約束したといつているそうですが真宮さんの宅でお会いしたときだつてお金の話は出ませんでした、お金をもらつた覚えもありません。こんどお別れをするようになりそうだと二人の話をされたとき独立して飲屋でも始めたら…援助もしてやるといつていましたのに……

独身暮しに同情して

真宮博士談 独身暮しの町田君に同情して紹介した。かようさんに別の女を世話してもらおうと思つたのに……こんなことになつて困つたものだ。

女性の敵です

松本文子さん談 大学教授の博士さんともあろう人があんなことをなさるとは、女性の敵としか思えません。

その二

図〈省略〉

余録

ある女が日本法制史の研究者町田四郎氏に対して、東京家庭裁判所に慰藉料請求の調停を求めた。事件そのものはカンタンで、公式の解決にてまどるような法制的問題ではないが、人間的問題としては、そうカンタンではあるまい。

▲ 男女関係の問題は、つきつめると本人同志だけが知つていることで、第三者には、うかゞい知ることの出来ぬ部分が多い。だから夫婦ケンカは犬も食わぬというくらいだ。

▲ しかし、この事件を公式的なものにしているという町田氏の態度に従えば、公式的な議論も成立つことになる。月五千円の通勤パンパンとして契約した女と別れるのに、手切金や慰藉料は問題にならぬという男のいい分に対して、女はキンセン的契約ではなく、通勤月給をもらつた覚えもないと主張している。

▲ この男女のいい分は、水かけ論になりそうだが、世間は、このような性的交渉に、どんな道徳的判断を下すであろうか。アプレ青年男女の性道徳問題がとやかくいわれている時、この事件が男が五十五のやもめ、女が四十七の子持ち後家さんだから、むしろアプレの青年男女が、拍手を送りたくなるような事件。

▲ 子持ちの後家さんを、性的従業員として雇い、月給五千円は安すぎて不当、人権ジユウリンの疑い濃厚だが、それすら払わず、ほかに妻として適当な後家さんが見つかつたから、無銭飲食でさようならは、人情の公式が許さない。

▲ 女もだらしがない。なぜ、はつきりした話をきめずに性的通勤に応じたのか、四十七にもなつた子持ちの後家さんが、捨てられてから、恋情を強調し、おぼこ娘のように慰藉料を請求するのもおかしい。

▲ とにかく、この後家さんは、悪い相手に引つかかつた。公式の解決となれば、家庭裁判所員など、完全に煙に巻いてしまうチエの持主-法制史と共に性生活史の権威だから。

その三

毎日新聞 昭和二十七年八月五日(火曜日)附投書欄写(第三面所載)

図〈省略〉

男女の反省

◇ 法制史の権威町田博士はある未亡人と交渉をもつていたが、他に愛人ができた為め彼女に別れ話を持ち出したのでこれを悲観自殺をはかつた未亡人から慰藉料請求の訴を起されています。このような男女の情慾問題はいまゝで市井のどこにもみられたもので、相手が社会的知名の士であるだけに大きく社会的に浮び上つたものだといえましよう。

◇ 男女の肉体関係は結婚生活の一端で、もちろん愛情の結びつきとして解釈されるものでなければなりません。単に情慾のはけ口としての男女関係は動物と変るところなく、何の成長もみられず、必ず破たんがきます。人間である以上高い知性と教養でこの問題を解決しなければならぬと信じます。

◇ 大学教授、法学博士と社会的に地位の高い町田氏が男性の生理のはけ口を金銭で契約した女性によつて満した行為は相手の女性の人格を無視し、女性を品物視し、女性一般を冐とくしたものとして大いにきゆう弾されなければなりません。従来のように女性のみに貞操堅固を強いて、男性の乱れた非倫理的な行動を許している社会自身に問題があると思います。これは男性の猛省を待つと同時に、女性にも深い反省が必要と存じます。

この未亡人の心情には同情されるのですが、『何れはこうなる日のくるのを知りながらも……』といつているところをみると余りに理性に欠けた思慮の浅い女性一般の欠点を丸出しにした行動と思われてなりません(港区・主婦・鈴木清子)

その四

町田事件をこう見る

識者にきく男女の在り方

去月三十一日東京家庭裁判所に法学博士町田四郎氏(五五)を相手どり『慰謝料』請求の調停を申し出た豊島区要町一の四八宮田かようさん(四七)と町田博士の問題は最初博士に彼女を紹介した同区巣鴨七の一八五一法学博士真宮次郎氏(五八)が仲に入り、このほど調停申立を取下げ話合いで解決を進めることになつた。これで二人の間は一応解決に近づいたわけだがこの事件が表面化した時博士が『通勤の娼婦』といい切り、彼女は『金ではない、愛情だ』と抗議したことは異常な反響をよびその後本社には多くの投書がよせられている。その中には『私も幾人かの″町田博士″をみた。未亡人は人生の危機に立つている』という別掲のような一未亡人からの投書もあつた。当事者の二人にとつて、そしてまた社会にとつて正しい解決はどこにあるか識者に意見を聞いてみた。

投書 この出来事から受ける感じは簡単にいうと『男性のうすぎたないエゴイズムと女性の無知』ということに尽きる。町田氏のいう″男対通勤娼婦″の考え方は劣等な人格の現われといわざるを得ず同時に女の無知には腹立たしくさえなる。女性の愛情とはこれを貴いものとして受入れてくれる男性に捧げることこそ美しく輝かしいものなのである。私も一未亡人として幾人かの″町田博士″に会い、また見て来た。世の未亡人たちがこのような男性に乗ぜられないよう見識をもつように望みます。(一未亡人=三八歳=より)

″通勤の娼婦″は逃口上

女の陰にけしかけるもの?

甲野太郎氏談 男と女のいうことが非常にくい違つている。町田氏のいうことも人間を対象としてああ割切れるのもおかしい。これはやはり逃口上じやないかという感じがする。永い間同せいまでは行かなくとも関係をつづけて来た人間としては割切りかたに不自然さがある。一方かようさんの考えに一貫性がないのはだれか後からけしかけているんじやないだろうか。無知な女はけしかけかたでどうにもなるものだ。

新らしいケースだ

三宅大氏談 普通の場合なら男が初めから女をだまして関係を続け結局男が女を捨てて問題を起す。ところが町田氏の場合″初めから取引だつた″とはつきり割切つているところに新らしいケースがあるんじやないか。男女関係は取引に始まつても問題を起すんだから何も知らないでやればもつと危険をはらんでいるということを知ることだ。解決はこうなれば二人だけの問題だから第三者がとかくいうことは出来ない残るのは解決の仕方をどういう風にもつてゆくかにある。

問題にすべきでない

村野西郎氏談 個人だけの問題だからどうも批判の余地がないような気がする。町田君が″取引だから″というのが事実なら婦人側に歩がない。何となく手切金ほしさのふんまんが爆発したという感がし、こうなると経済問題だけが残るんじやないか。女性をオモチヤにしたという問題なら別問題で世の中には多くあり得ることで決していいことではないが余り厳格にいえば道学者めいてどうも……こんどの問題は基本的に見て

〈1〉こんな関係がいいか悪いか 〈2〉交際を断つやり方如何。

の二つに問題が分れて来ると思うが、何れも当事者同士の考え方や人に知れぬ人情問題もからんで来るので他人が口ばしを入れるべきではないだろう。

女性の敵です

乙野次子氏談 町田博士のいう″通勤の娼婦″という考え方は全日本女性のいかりを買つたことだつた。博士は歴史の研究で人間生活に根ざすものを研究されているので、それが物質に左右されることを絶えず見ていて私生活も殊に男女関係をさえ物質的に割切る考え方なのでしようか。そうだとすれば人間の堕落だと思います。

赤裸々な人間の姿

若い人にいい教訓

林けい子氏談 女性一般の立場からいうのではなく事件を突きはなしてみた場合町田博士のああいう考え方は面白いナと思います。男と女との関係はそれが結婚であつても結局取引にすぎないものなんです。桃色や水色のベールをはぎとつたに過ぎないのがあの姿でしよう。若い人たちにこういうものだと教えたことで教訓ですネ。ベールのはぎとりかたは一寸ひどかつたかも知れないけれど。現代に行われている道徳からは脱してはいない。けれども博士が『こんごの道徳はこうあるべきだ』と知識人の立場で示すためならばそこに何らの理想もなければまた平凡に過ぎる。博士が男女関係はこんなものだ-というのなら仕方のないこと。東洋人はあいまいな、感傷的な考え方なのに博士の場合はつきり割切つたところはある意味でえらいともいえるでしよう。

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